読み手「やまだ眸月真」のつぶやき

長崎の民話 第8話「雪のサンタマリアと本蓮寺の南蛮幽霊井戸」

今回のお話いかがでしたか。
豊臣秀吉の頃からの弾圧で、江戸時代になると、外国の宣教師たちも途絶してしまい、キリスト教の教義を教える人がいなくなり、また、聖書なども手に入らなくなると、口伝えでの伝承のみが「たより」となっていったんでしょうね。
誰でも分かりやすいように、日本風に修正されて、言い伝えられてきたのだと感じました。
七代の後には縁先に出て大きな声で唱えられる、それが本当となった大浦天主堂。その大浦天主堂にある「信徒発見」の碑をみると、当時の宣教師の驚き、喜び、そして信徒の沸き立つような思いが伝わってきます。

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